コロナ対策はプロセス主義で評価すべき

前回に記事にしたかもしれないが、コロナ(感染症)は、誰がかかっても仕方ない部類の感染症である。どれだけ対策をしていても感染してしまう可能性はあるし、全く気を付けていない人がいても感染するとは限らないのである。

そして、現在、(クラスターをつぶすことによる)封じ込め戦略を取っている(取り切れてはないが)ため、感染者=悪という風潮になってしまっており、差別までもが一部では発生している。

 

そして、先日の知事会では、兵庫県の知事が自粛要請に応じない店には罰則を与える法改正を政府に提案するというところまでの話になっているそうだ。

 

ここで、私の感覚と、世間の感覚がずれている気がしている。

 

確かに、コロナのような飛沫感染というものは、対策さえしておけばある程度防げるものであり、完全には防ぐことができないというものである。

 

このような病気において、結果主義で感染者を扱うからおかしくなるのである。

どれだけ感染対策していても、感染対策していれば悪である。そして、どうせ対策いくらしても感染してしまうのだから、感染気にせず遊んだ方がいい、経済回した方がいいという発想になる。

 

そうではなく、コロナ(飛沫感染症)に対しては、プロセス主義にすべきである。

まず、感染が確定した人には、国の特別機関(保健所とは別の公安やサイバー対策の人らでもなんでもいい)がその人がどれだけ対策していたのかを調査。

そして、それを調査できるように、各店舗には、消毒、非接触検温、マスク確認、CO2濃度測定、アクリル板をガイドラインで制定。

人込みでのちゃんとしたマスク、消毒等、完全に感染対策をしたうえで、出かけた理由が不要不急でない場合には、治療費の無償化及び入院、自宅待機の本人意思を優先(入院希望者には優先入院権付与、自宅待機の場合は食べ物党日用品等を十分に支給)

逆にコロナ対策をしていない人がコロナに感染した場合、治療費の有料化、強制的宿泊施設収容(法的拘束力ありでビジネスホテルのようなすばらしい環境ではなくても)、宿泊施設での宿泊費(滞在公務員・看護師等の費用も徴収)

とすればいい。

 

そして何より、今、何県で何人でたとかばっかり報告しているが、

感染した人の感染源なんてどこでもいいから、

感染した人が、どの程度の感染予防対策をしていたのかをランクで示せばいい。

 

そうすれば、家庭内感染以外のうち70%以上は感染予防対策低ランクになるはずである。

 

感染予防対策が一定以上の人同士が、会食するのであれば5人以上であっても認めればいい。

アクリル板ないステーキ屋の会食はそれでもダメだとおもうけど。

 

今回の記事のプロセス主義、

前回の記事の参加人数によって必要な支払いを最低限とするルール

前々回の記事のコロナ税。

 

この3種を複合すれば、ものすごく合理的かつ効率的で経済回しながらしっかり救済できるかなり理想な国家ができると思う